大判例

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大分地方裁判所 平成8年(ワ)324号 判決 1997年10月17日

原告

山崎敦

ほか一名

被告

宮川豊美

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ各金一九三二万円及びこれらに対する平成二年一〇月一八日から支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用中、参加により生じた費用は補助参加人の負担とし、その余の費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文第一項と同旨

第二  事案の概要

本件は、訴外山崎豊磨(以下「豊磨」という。)が、普通乗用車(以下「豊磨車」という。)を運転中、防波堤に激突して死亡したのは、豊磨が、訴外宮川豊和(以下「豊和」という。)の運転する軽四輪貨物車(以下「豊和車」という。)等からいわれのない追跡を受けて逃走したことによるものであるとして、豊磨の遺族である原告らが、豊和車の所有者である被告に対し、自賠法三条に基づく損害賠償を請求した事案である(内金請求)。

一  争いのない事実等

1  原告らは、豊磨の両親である(当事者間に争いがない)。

原告らは、豊磨の死亡に伴い、相続により、同人の権利義務を各二分の一ずつ承継した(甲一)。

2  被告は、豊和車を所有していた。

3  原告らは、損害の填補として任意保険から二五〇〇万円(各一二五〇万円)の支払を受けた。

4  原告らは、平成七年二月二八日、被告訴訟代理人から保険証券の写しを受領したことにより、初めて、被告の名前と豊和車の所有者が被告であることを知った。

(右2ないし4につき、当事者間に争いがない。)

二  争点

1  豊和車の運行と豊磨の死亡との間の相当因果関係の存否

(原告らの主張)

豊磨は、平成二年一〇月一七日午後一一時ないし午前〇時ころ、豊磨車を運転して国道一〇号線を走行中、福岡県築上郡吉富町広津所在の通称広津交差点(以下「広津交差点」という。)付近において、先行する訴外宮川親(以下「親」という。)運転の貨物車(以下「親車」という。)及び豊和車を追い越した。これに立腹した親及び豊和は、豊磨車を約一キロメートルにわたって追跡し、福岡県豊前市直江交差点(以下「直江交差点」という。)で信号停止した豊磨車に対し、豊和車がその前部に、親車がその後部に停車した。親は、車から降りて豊磨車の運転席ドアの外から豊磨に向かって、「どんな運転をしているんだ。」と怒鳴り、豊磨が運転席側のドアの窓を開けて謝ると、親は、豊磨の右顔面を手拳で殴打したうえ、「降りてこい。すみませんではすまん。」と怒鳴った。これに対し、恐怖を感じた豊磨は、車を発進させ、豊和車の歩道側から国道一〇号線を北上して逃走したが、豊和車は、右車両のすぐ後ろを追跡し、親車もやや後方からこれに続き、直江交差点から北九州市方面に向かって約三・六キロメートルの地点にある福岡県豊前市赤熊交差点(以下「赤熊交差点」という。)で、豊和車が豊磨車の前に出て急停車し、同車を停止させた。これに対し、豊磨車は、右交差点を右折して脇道に入り、さらに逃走を続け、豊和車もこれに続いて同交差点を右折し、親車もこれに続き、いずれも、豊磨車を追跡した。赤熊交差点を右折した先は、工場団地横を抜けて宇島港防波堤で行き止まりとなっていたが、夜間照明がなく、付近の地理を知らない豊磨は、右交差点から約一キロメートル進行した地点において、同月一八日午前〇時ないし午前一時ころ、運転車両を防波堤に激突させ、そのころ、同所において、頭蓋底部骨折にもとづく脳挫傷により死亡した。

右豊和(及び親)の一連の行為は、豊磨に対する脅迫行為であり、同人は、右脅迫行為から逃避する途中に本件事故に遭遇して死亡したものであって、右は、豊和(及び親)運転車両の運行に起因する。

(被告の主張)

豊磨車が、信号機により交通整理の行われている交差点の手前で親及び豊和運転の各車両に対し、右側から、急に割り込んできたので、右両名とも衝突の危険を感じて、急ブレーキをかけたが、右信号が青色の表示に変わったため、豊磨車は、そのままスピードを上げて進行して行った。親及び豊和運転の各車両が、広津交差点に到達したところ、豊磨車は、赤信号の表示に従って停車していたので、兄の豊和は右車両の前に、弟の親は右車両の後ろにそれぞれの車を停車させた。同所において、親は、降車して豊磨車の運転席側に行き、豊磨に対し、「一体、どんな運転をするのか。」と言ったところ、同人は、「すみません。」と答えた。その際、親は、豊磨の右顔面を殴打してはいない。ところが、豊和が降車して親の側へ来た途端、豊磨車は、赤信号を無視して発進して行った。そこで、豊和及び親も、各車両に乗車して、豊磨車を追って発進したが、同車両との距離は見る間に離れて行き、豊磨車が、赤熊交差点を右折した際には、豊和車は二〇〇ないし三〇〇メートル引き離されており、親運転の車両は、さらに二〇〇ないし三〇〇メートル後方を走っており、豊和には豊磨車が右折したのが分かったが、親には分からなかった。豊和車は、赤熊交差点を右折して、豊磨車を追い、親も豊和車が右折したことから、同じく右交差点を右折した。ところが、豊和車は、右折後間もなく、右カーブになっている所で横転し、親も同所に到着して降車し、横転した車両内から豊和を助け出した後、二人で同車両を引き起こした。その後、豊和は、豊和車を運転して豊磨車を探しに出発したが、横転の際に負傷した右手が痛く、出血もしていたので、これを断念し、直ぐに、親の待っている所に戻った。

以上によれば、右豊和車の運行行為と豊磨の死亡との間には相当因果関係はない。

2  損害額(逸失利益・慰謝料・葬儀費用・弁護士費用)

3  過失相殺

(被告の主張)

豊磨が逃走しなければならないほどの状況にあったとは考えられず、また、赤熊交差点から右折しなければならない必然性もなかった。さらに、豊磨は、追跡を受けていたとしても、前方を注視して運転する注意義務があり、前方を十分注意していたならば、岸壁への衝突は当然避けられたと考えられる。したがって、豊磨には、本件事故の発生につき、過失がある。

(原告らの主張)

豊磨には過失はない。

4  消滅時効の成否

(被告の主張)

本件事故発生から三年が経過しているから、原告らの被告に対する損害賠償請求権は時効により消滅している。被告は、本訴において、右時効を援用する。

(原告らの主張)

原告らが、平成七年二月二八日に、初めて、被告の名前と豊和車の所有者が被告であることを知った事実は、当事者間に争いがないから、未だ、消滅時効は完成していない。

第三  争点に対する判断

一  豊和車の運行と豊磨の死亡との間の相当因果関係の存否について(争点1)

1  証拠(甲一、二、三の1ないし10及び13ないし16)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、甲第三号証の13のうち、この認定に反する部分は採用しない。

豊磨は、平成二年の一〇月一七日午後一一ないし午前〇時ころ、豊磨車を運転して国道一〇号線を中津市方面から豊前市方面に向けて走行中、広津交差点付近において、同一進路上を相前後して先行していた豊和車及び親車を追い越した。これに立腹した豊和及び親は、豊磨車を約一キロメートルにわたって追跡し、直江交差点で信号停止した豊磨車に対し、同車両を挟み込んで移動できないような形で、豊和車がその前部に、親車がその後部にそれぞれ停車した。同所において、親は、自車から降りて豊磨車の運転席側ドアの外から豊磨に向かって、「なんていう運転をするのか。」と大きな声で怒鳴った。これに対し、豊磨が右ドアの窓を開けて、数回にわたり「すいません。」と謝ったが、親は、さらに、豊磨に対し、「降りてこい。すみませんではすまん。」と怒鳴った。その後、豊和も、降車して親の横に並びつつあったが、その様子を見て恐怖を感じた豊磨は、右交差点の信号が赤色表示であったにもかかわらず、豊和車の横の歩道に乗り上げる形で豊磨車を急発進させ、国道一〇号線を北上して逃走した。これに激昂した豊和は、直ぐに豊和車を発進させ、豊磨車のすぐ後ろを追跡し、親車もやや後方からこれに続いた。その後、豊和車は、直江交差点から北九州市方面に約三・六キロメートルの地点にある赤熊交差点で、豊磨車に追いつき、同車の前方に回り込んで、同車を停止させた。これに対し、豊磨は、赤熊交差点を右折して脇道に入り、宇島方面に向かってさらに逃走を続け、豊和車もこれを追って右交差点を右折し、親車もこれに続いた。もっとも、親車は、時速五〇ないし六〇キロメートルで進行していたにもかかわらず、先行する豊磨車及び豊和車の速度が速かったために、右各車両との距離が開いていった。赤熊交差点を右折した先は、工場団地横を抜けて宇島港防波堤で行き止まりとなっているため、途中、同防波堤の約二〇〇メートル手前に車両進入禁止の道路標識も設置されていたが、夜間照明が全くなく、付近の地理も知らず、豊和らの執拗な追跡を受けて必死になって高速度(少なくとも時速七〇ないし八〇キロメートル)で逃避していた豊磨は、そのまま、進入禁止区域内に進入し、同月一八日午前〇時ないし午前一時ころ、同交差点から約一キロメートルの地点において、前同様に高速度のまま豊磨車前部を防波堤に激突させ、これにより、そのころ、同所において、頭蓋底部骨折にもとづく脳挫傷により死亡した。

他方、豊和車は、豊磨車を探索しながら、時速七〇ないし八〇キロメートルで進行していたが、右防波堤の約二〇〇メートル手前の左カーブのあるT字型交差点で右方道路に気を取られて、進路が左にカーブしているのに気づくのが遅れたため、急に左にハンドルを切ったために横転した。豊和は、追いついてきた親の助けを受けて横転した車内から抜け出し、親とともに、横転した豊和車を引き起こした後、親に対し、見張りのためにその場に待機しておくように指示して、再び、豊和車を運転して豊磨車の探索に出発した。豊和車は、一分位して親の待機する場所まで戻って来て、親車とともに、その場から引き上げた。

2  右1認定の事実によれば、豊磨は、前記豊和車(及び親車)の豊磨車に対する一連の執拗な追跡行為を受けて、身の危険を感じ、右追跡から逃避しようとして事故に遭遇して死亡したものであると認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。したがって、豊和車の運行と豊磨の死亡との間には相当因果関係が存在するものと認めるのが相当である。そして、豊和車が被告の所有するものであることは当事者に争いがないから、被告は、自賠法三条に基づき、右豊磨の死亡に伴い生じた損害を賠償する責任がある。

二  損失額について(争点2)

1  逸失利益

証拠(甲一、二、三の11、12及び15、五)及び弁論の全趣旨によれば、豊磨は、昭和四二年九月四日生まれの健康な男子であり、本件事故当時、住友林業株式会社中国支店に勤務し、同社から一か月平均二八万四六〇〇円の給与を得ていた事実が認められるから、死亡による逸失利益は、右給与額を基礎として、生活費控除割合を五〇パーセント、就労可能期間を六七歳までの四四年間とし、中間利息をホフマン方式(係数二二・九二三)により控除して算出した三九一四万三三一四円をもって相当と認める(円未満切り捨て)。

2  慰謝料

豊磨が死亡した経緯、豊磨と原告らとの関係その他本件訴訟の審理に顕われた一切の事情を考慮すると、豊磨の死亡に伴い原告らが被った精神的苦痛を慰藉するには、各金一〇〇〇万円をもって相当と認める。

3  葬儀費用

豊磨の社会的地位その他諸般の事情を考慮すると、葬祭費相当の損害として賠償を求めうる金額は一〇〇万円(原告ら各五〇万円ずつ負担)をもって相当する。

三  過失相殺について(争点3)

前記一の認定によれば、豊磨の死亡につき、同人に過失があったとは認められないから、被告の過失相殺の主張は採用できない。

四  小括

豊磨固有の損害(逸失利益)については、前記争いのない相続関係によれば、同人の損害賠償請求権は、原告らが各二分の一の一九五七万一六五七円ずつ相続したものであり、原告ら固有の損害は各一〇五〇万円であるところ、前記争いのない損害の填補に従い、填補額(各一二五〇万円)を控除すると、残額は原告ら各一七五七万一六五七円となる。

五  弁護士費用

原告らの請求額、認容額、事案の内容その他本件に現われた諸般の事情を勘案すれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告らそれぞれにつき各一七五万円をもって相当と認める。

六  消滅時効の成否について(争点4)

原告らが、初めて、豊和車の所有者が被告であることを知ったのが平成七年二月二八日であること、すなわち、右年月日が時効の起算点であることについては当事者間に争いがないから、未だ消滅時効は完成しておらず、本件事故発生日をもって時効の起算日とする被告の消滅時効の主張は理由がない。(なお、補助参加人は、原告らが、遅くとも、平成三年末頃には、豊和車の所有関係を知っていたので、原告らの本訴各請求権は時効により消滅している旨主張しているが、右主張は、被参加人である被告の時効の起算点についての前記主張(この点について自白が成立)に抵触するから、効力を有しない。)

第四  よって、原告らの被告に対する本訴各請求は、いずれも理由がある。

(裁判官 高橋亮介)

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